水戸洋平と床屋のおばちゃんと花道の話

駅前の商店街は洋平が子供だった頃に比べるとだいぶ寂れてしまったけど、その一角にある理容店の、赤と青と白のサインポールは、いまでも月曜日以外は毎日回っている。
扉を押すと、頭の上でカランカランと鳴る音も昔から変わらない。
「あら洋平くん。いらっしゃい!」
鏡ごしにおばちゃんが元気な声をかけてくる。
「今日は一人?」
「はい」
店の中には先客が一人。男性が顎に白いクリームを塗られ、気持ちよさそうに目を閉じている。
「すぐ終わるから、ちょっと待っててね」
「うーす」
洋平は隅の席に座り、棚の漫画を適当に物色した。漫画の背表紙はどれも色あせていて、レパートリーもひと昔前のものだ。洋平が中学生の頃までこの店は夫婦でやっていたのだが、店主が亡くなり、今は還暦を超えたおばちゃんが女手ひとつで切り盛りしている。
見るともなしに漫画のページをパラパラめくっていると、「ありがとさん」と先客が会計を済ませ帰って行った。
「洋平くんお待たせ。どうぞ」
ケープの髪の毛を払い落としながら、おばちゃんは椅子をくるりと回し、洋平に座るように促した。
「カットでいい?どういう感じにする?」
「あー、いつも通りでお願いします」
「じゃあ先にシャンプーするわね」
背もたれが倒される。おばちゃんがくすっと笑った。
「どうせ洗うんだから、ばっちりセットしてこなくてもいいのに」
「そこはまあ、ポリシーっつーか」
「今時リーゼントの若い子も珍しいわよね。パーマとかかけないの?茶髪にしたり」
「あー、苦手なんすよねおれ、あのふわふわっとしたゆるい感じが」
「硬派なのね」
おばちゃんの節くれだった指が髪の間に通される。
「かゆいとこない?」
「うーん、つむじの横らへん」
「ここ?」
「もっと右。あーそこ、そこっす」
ガシガシ洗われる感じが心地いい。
高校に入ってから、大楠たちに誘われて町の美容室に行ってみたこともある。でも、なんだかダメなのだ。苦手というか。「場違い」な感じがして。
柔らかな甘い香りより、この店に染み付いているトニックシャンプーとシェービングクリームの匂いが性に合う。
「はい、おつかれさま」
椅子が元に戻されると、長い前髪をおろした自分が鏡の中にいた。
櫛で整えられ、ハサミが襟足に入れられる。ちょきんと、ひと束の毛足が肩に落ちた。ちょきん、ちょきんと、真剣な眼差しでおばちゃんはハサミを入れ続ける。
「桜木くんは今日も部活?」
おばちゃんが言った。
「はい」
「そう。最近こないから心配してたのよ。だいぶ髪も伸びてるんじゃない?」
「元気すよ。今あいつはバスケに夢中で、頭は二の次みたいすね」
「そう。それは良かったけど・・・」
続く言葉の代わりに、ちょきん、とハサミの音がする。
花道の髪を最初に赤く染めたのはこの店の店主だ。今は入口の写真立ての中でおだやかに微笑んでいるが、若い頃は暴走族の頭をやっていたらしい。あれほど見事に真っ赤な色を入れられるのは、ここのおっちゃんだけだった。花道も真っ赤なリーゼントをいたく気に入っていた。
その髪を、花道は先月あっさり坊主にした。自分のせいで試合に負けたからという理由で。
花道がこの鏡に向かって『坊主にしてくれ』と言ったとき、洋平も驚いたが、一番驚いていたのはおばちゃんだった。いや、写真の中のおっちゃんだったかもしれない。
「できたわよ」
後ろからポンと肩を叩かれた。
「後ろの長さはこれくらいでいい?」
洋平に手鏡を持たせて、椅子を回転させる。
「オッケーです」
「つける?」
おばちゃんの手の中にあるものを見て、洋平は頷いた。
「もちろんお願いします」
おばちゃんはにっこり笑ってポマードの蓋を開けた。
花道。おれは当分リーゼントをやめる気はないぜ。洋平は心の中で親友に告げた。