りんごのウサギとたまご粥

一志レジェンドしろいさんのブログから「板前修業中の一志と、旅館の跡取り息子の藤真(一志は藤真を坊ちゃんと呼んでいる)」という妄想をお借りして書きました。
本当は番頭の息子花形と、藤真が、恋愛未満の淡い恋心みたいなものを抱いているのですが、このSSでは長谷藤メインです。
 
 
「りんごのウサギとたまご粥」
 
 
 
今思えば、朝から元気がなかった。
あのとき無理にでも手を伸ばして、ひたいの温度を確かめておけばよかった。
 
長谷川一志は旅館の板前見習いをしている。
旅館の朝は忙しい。早朝から仕込みを始め、宿泊客の朝食の準備を始める前に、ささっとまかない飯をかきこむ。その時を逃すと厨房は戦場と化してしまうからだ。
 板前たちがまかないを食べている頃、旅館の息子である藤真が起きてくる。長谷川にとっては雇い先の御曹司にあたる。同い年だが、父の跡を継いで中卒で板前修業をしている自分とは違い、藤真は進学校に通っている。経営学を学ぶため将来は大学にも行くつもりなのだろう。が、今はまだ部活に夢中で、練習のため毎日朝も早い。
「おはようございます、坊ちゃん!」
「おはよう・・・」
板長の永野が丼片手に威勢よく挨拶したが、藤真はなんとなく気だるそうな表情で応えた。
長谷川が椅子から立ち上がって藤真の茶碗を用意しようとすると、
「ああ、今日朝飯いらない」
藤真は言った。
「具合でも悪いんですか?」
いつもは三杯はおかわりするのに、と永野が不思議そうに首をかしげる
「ちょっと、風邪っぽいんだ」
「大丈夫すか?学校休んだほうがいいんじゃねーすか?」
「いや、平気だ」
藤真はぎこちない笑顔を作って、厨房を後にした。
「あ」
厨房のすみに、弁当箱が置きっ放しになっている。長谷川は急いでそれをチーフで包み藤真のあとを追った。
藤真の弁当を詰めるのは長谷川の役目である。別に特別なものを作るわけじゃない。昼の仕出しと同じものを詰めるだけだ。高校に入ってから毎日のことなので、長谷川はもうごはんやおかずの量から、ふりかけの好みまで全部知っている。デザートのりんごをウサギにむいている時、長谷川は少しだけ幸せを感じる。
「坊ちゃん、弁当忘れてます」
「あ。サンキュー、一志・・・」
受け取った顔にもこころなしか輝きがない。
「本当に大丈夫ですか」
「うん、たぶん」
「・・・」
今日はりんごはウサギにしないで柔らかく煮ておいたほうが良かっただろうかと、長谷川は心配になった。
 
夕方、仕込みのため、厨房の裏庭で里芋の皮をむいていると藤真が帰ってきた。普段の帰宅時間よりずいぶん早い。
「おかえりなさい、坊ちゃん」
「ただいま・・・」
明らかに朝より具合が悪そうだった。長谷川は慌てて駆け寄った。
「顔色が悪いです」
「うん、頭が痛い。ていうか全身が痛い」
「すぐ女将さんを・・・」
「いい。これから忙しくなる時間だから」
藤真はぴしゃりと遮った。
「薬飲んで寝てれば治るから、母さんには言わないでくれ」
「・・・」
「ごめん、一志」
藤真はかばんから、チーフに包まれたものを取り出した。
「弁当残しちまった」
「・・・」
そんなこといいんです。
部屋へ戻っていく藤真の後ろ姿に、長谷川は少し胸を痛めた。
 
厨房に戻って弁当箱を改めると、言われた通り中身の半分以上に手がつけられず残っていた。けれどウサギのりんごは二つともなくなっていた。
「やっぱり体調悪かったんだなあ。坊ちゃん。昔から変に我慢強いっていうか、我慢しちゃうんだろうなあ」
永野が後ろから弁当箱を覗き込んで言った。永野は藤真が子供の頃からここで働いている。忙しい両親のもと我が儘を押さえてきた藤真の姿をずっと見てきたのだろう。
「一志、おまえ今日、坊ちゃん看ててやれ」
「え」
厨房はこれから夕食の準備で大忙しになる。一人欠けたらどんなことになるか想像に難くない。
「いいんですか」
「旦那様も女将さんも、お客さんの相手で手が離せねえんだから。おまえが付いててやるしかないだろ。こっちはなんとかするから」
「・・・ありがとうございます」
長谷川は帽子を取って永野に頭を下げると、藤真の部屋に向かった。
 
「坊ちゃん」
ふすまを叩いて声をかけるが、返事がない。
「すみません、入ります」
す、とふすまを開けると、部屋の真ん中のこたつに突っ伏して藤真は寝ていた。天板にぺたりと頭をくっつけている。
すりおろしたりんごと、水と風邪薬と体温計を乗せてきた盆を脇に置いて、長谷川は藤真のひたいに手を当てた。
やはり熱があるようだ。頬も紅く、息もあつい。
「坊ちゃん」
とりあえず、布団に移動させなければと思った。
「こたつで寝たらいけません」
「・・・ん・・・一志?」
「布団、敷きます」
押入れから布団を引っ張り出して、シーツをかけた。
「動けますか」
「うん・・・」
もそもそとコタツから這い出て、藤真はごろんと布団に横たわった。
制服は既に着替えてハンガーに掛けてあり、藤真は部屋着のパーカーを着ている。本当は寝巻きのほうがいいのだが、また汗をかくかもしれない。着替えはその後でもいい。長谷川は薄いタオルケットを藤真の体の上にかけてやった。
「薬、もってきました」
「ん・・・」
「飲む前に、何か食べたほうがいいので」
長谷川はお盆の皿から、擦ったりんごをひと匙すくった。こぼれないように一方の手を受け皿にして顔の前に差し出すと、藤真は目を閉じたまま口を開けた。小さく開いた唇の隙間から流し込むと、こくりと喉を鳴らしてそれを飲み込んだ。
「美味しい・・・」
長谷川はほっとした。
「もう少し食べれますか」
藤真は枕の上で首を横に振った。
 
薬を飲ませてから、長谷川は改めて藤真のひたいに手を乗せた。水仕事で冷えた手に、その熱さが心地よかった。
「気持ちいい・・・」
藤真は目を閉じたまま言った。逆に藤真にはこの冷たさが気持ちいいのかと長谷川は思った。
「氷、もってきましょうか」
立ち上がろうとしたら、手を掴まれた。
「このままでいい」
「・・・」
「おまえの手の方が気持ちがいい・・・」
やがて藤真は小さな寝息をたてながら眠りについた。
長谷川の手のひらはとっくに藤真のひたいと同じ温度になっていたのだが、離せば起きてしまうような気がして、長谷川ずっとそのまま手を乗せていた。
部屋の窓は、赤っぽいような紫っぽいような、夕暮れの色になっていた。
長谷川はなんとなしに、子供の頃、学校を休んだ日のことを思い出していた。
母はどちらかというと厳しい人だったが、その日ばかりは甲斐甲斐しく自分の世話を焼いてくれた。最初は嬉しかったけど、ずっと天井の模様ばかり見ていると、寂しくてつまらなくなってきた。夕方になり外から「ばいばーい」「また明日ね」という声が聞こえて来ると、明日はきっと学校に行こう、と思った。
 
そんなことを考えていたら不覚にもうとうとしていた。板前の朝は早いのだ。いけない、いけない、と思いながら、長谷川の意識は途切れた。
はっと目を覚ました時、体は畳の上に横たわっていた。なぜかタオルケットが自分の上にもかけられていた。
状況がすぐ理解できなかったので目線で辺りを見回して、ぎょっとした。真横に藤真の頭があった。彼は自分にぴったりとくっついて眠っていた。
「坊ちゃん・・・」
ひたいに手を当てるとさっきほどの熱はなかった。薬が効いたのかもしれない。
「一志・・・?」
藤真がゆっくりと目を開けた。
「あ、具合はどうですか?」
長谷川は慌てて体を起こして離れた。
「だいぶ楽。すげー汗かいた」
「着替えましょうか」
「うん」
「何かほかにしてほしいことありますか」
「あのさ、一志」
「はい」
「お粥が食べたい」
窓の外はもう真っ暗だった。
 
腹が減れば回復の兆しだと長谷川は思う。
厨房に戻って、昆布で薄めの出汁をとって、たまご粥を作った。海苔をちらしたものが藤真は好きなのだ。
「熱いですよ」
ふたたび部屋に戻り、ふーふーしてやって、口に運んでやる。
「すげーうまい」
彼のその一言が、やっぱり一番うれしい。
口を開けたまま次の一口を待っている姿は何かに似ているなと思いつつ、急いで次をふーふーする。
「一志」
「はい」
「明日学校に行けるかな」
「・・・」
全部食べれたら考えましょう、と長谷川は答えた。
 
翌日。
藤真は驚異的な回復を見せ学校に行った。が、代わりに長谷川が見事に熱を出してしまった。
「馬鹿じゃないことが証明されてよかったな」
永野には大笑いされ、
「おまえ、坊ちゃんに何したんだよ」
番頭の息子である花形には疑いの目を向けられた。
弁解の余地もなく、長谷川はその日修業を休んで、一日大人しく部屋で寝ていた。
が、夕方、部活を休んで早めに帰宅した藤真から手厚い看病を受けたので、寂しくはならなかった。
 
 
<終>