「逆光とノイズ」 4話

「ずっと右手ばっかり見つめてるけど、どうしたの?」
その日の夕食の時、母に言われた。
「お兄ちゃん、自分の手ながめてうっとりしてるー。気持ちわるーい」
「う、うるさいな」
中二の妹にまで指摘されて、僕は慌てて右手をテーブルの下に隠した。
「ごちそうさまでした」
「あらもういいの?」
「うん」
「卓、明日はお弁当忘れちゃダメよ」
「わかってるよ」
僕は自分の部屋に向かった。
「ねえ、あの子最近なんか変じゃない?」
「さー。好きな人でもできたんじゃない?」
「まさか」
僕がいなくなったリビングで、母と妹がそんな会話を繰り広げていたことは知らなかった。
 
部屋に戻って、僕はカバンの中から一枚の紙を取り出した。
今日の帰りのH Rで配られた、部活の入部届けだ。来週の始めから、いよいよ部活見学が始まる。それが終わったら正式にこれを提出するのだ。
僕はその紙を両手で持って、顔の前に掲げてみた。
学年、組、出席番号、名前。
書く部活の名前なんて、半年も前から決めている。
「お兄ちゃん、紙とチューでもするの?」
背後から声がして、僕は慌てて入部届を裏返して机に伏せた。
「何だよっ」
振り向くとドアの隙間から妹がのぞいていた。
「だって今しようとしてたじゃん」
「バカ言ってんなよっ。早く自分の部屋に行けよっ」
「はーい」
妹が去った後、僕はドアに鍵をかけ、入部届けを大事に引き出しにしまった。
 
 
翌週。
授業が終わっていそいそと体育館に向かおうとしていたところ、「あ、伊藤」と先生に呼び止められた。
「クラス委員の最初の集まりなんだけど、水曜日に決まったから。おまえ出れるか」
「あ・・・はい」
僕はクラスの委員長に選ばれていた。
「じゃあ、頼むな。最初の仕事は学祭なんだけど、うちの学祭はな・・・、」
先生は延々と説明してくれたのだが、僕は早く体育館に行きたくて、「はい」「はい」と返事をしながら、チラチラと時計を見ていた。
ようやく解放されて体育館に向かったとき、僕はそこでも驚くべき光景に遭遇した。体育館のすべての側面の出入り口に、びっしりと女子生徒が張り付いていたのだ。
「ねえねえ、まだかなあ」
「早くこないかな〜」
中を覗きたかったが隙間がない。僕は正面入り口へと回った。
 
体育館シューズに履き替えて中へ入ると、ボールの音と野太い掛け声が響いてきた。手前をバレー部、奥のもう片面をバスケ部が使っていた。翔陽高校はバスケだけでなく、バレーや卓球や水泳も全国区の強豪である。これが高校の部活風景かと、僕は胸を膨らませた。
「ごめん」
練習に見入っていたらうっかり入り口のど真ん中で立ち尽くしていたらしい。
「そこ通してくれる?」
振り向くと、黄緑色のジャージを着た人がバッシュを持って立っていた。
「あ、すいません!」
僕は慌ててその場所をどいた。
「一年生?見学?」
眼鏡をかけたその人は、優しい口調で僕に言った。隣に立ったら見上げるほど背が高かった。
「あ、はい」
「バスケ部?バレー部?」
「あ、バスケです」
「あそう。じゃ連れて行くよ」
「え」
「おれバスケ部だから」
その人は親指で自分を指して、眼鏡の奥の目を細めた。
「花形」
「誰?一年坊主?」
後ろから同じジャージを着た人たちがぞろぞろとやってきた。びっくりした。皆、プロのバスケ選手かと思うくらい体が大きかったからだ。
「ああ、この子見学希望なんだって」
「君、バスケ部希望?」
物珍しそうにあっという間に取り囲まれてしまう。
「まさかバレーじゃねえよな」
「え、えっと・・・」
間近で見下ろされると、それだけで威圧感がある。中学生とは全く違う。声も低く、体も分厚く、正直少し怖いくらいだった。
「高野、一年生怖がってる」
花形、と呼ばれた眼鏡の人が笑いながら言った。
「おまえはそもそも顔がこえーんだから気をつけろよ」
もう一人の、髪の短い人が言った。
「ああ?永野おまえに言われたくねーよ」
「中入ってもらっていいよな」
「もちろん」
「入れ入れ」
「あ、あの、」
僕は勇気を出して会話に踏み入った。
「ん?」
先輩たちの視線が僕に集まる。
「外の人たちも、部活の見学なんですか?」
「外?」
「あの、外の、女の子たち・・・」
「ああ」
花形さんが側面の入り口をぐるりと見て笑った。
「部活の見学っていうか、」
藤真健司の見学な」
顔が怖いといわれた、高野さんが言った。
「あ、藤真ってうちのエースのことな。ちなみにおれらと同じ二年生」
永野さんが補足する。
「・・・」
知ってます、と僕は思った。
「ポジションはポイントガード。ちなみに一年の時からレギュラー」
それも、知ってます。
「女にモテモテ。三日に一度は告られてる。ちなみにそのうち一割は男から」
それは、知りませんでした。
「最初はムカついたけどもう慣れたな」
高野さんが言った。
「いまは逆にラッキーって思ってるぜ。あの女どもは全部おれのファンで、おれを見に来てるんだって思いながら練習してる」
「超ポジティブだな」
「どう考えて無理がある設定だな」
「はは・・・」
思わずつられて笑ってしまった。さっきまで怖いと思ってた人達が、気さくで面白い先輩たちに変わってきた。
「とにかく、中に入りなよ」
「はい」
花形さんが言った。この人の穏やかな物言いに、僕はいつのまにか安心感を覚えるようになっていた。
「ああ」
永野さんが後ろを振り向いて、僕を肘でつついて目配せした。
「噂をすればなんとやら。エース様のお出ましだぜ」
 
 
 
 続く