​​一志と藤真のSS

 
 
またか。
 
居残り練習のあと、藤真が「苦手な角度のシュートの練習をもう少ししたい」と言って体育館に残ったので、長谷川は先に一人で部室に戻った。
遅れて藤真が部室に帰ってきたとき、彼が手に持っていたのは泥々になった自分のジャージの上着だった。練習中の藤真はランニング姿だったので、おおかた、置いてあったジャージがこっそり持って行かれて汚されてしまったのだろう。驚くより先に「またか」と長谷川は思った。
入部してから二ヶ月。何度もこういうことがあった。五月に入ってからはもう二回目だ。同じ嫌がらせを何度もするほうもするほうだが、驚かなくなっている自分も自分だ思う。
こんなことして虚しくないのかよ!と、花形がもしここにいたら激怒しただろう。
「誰がやったのかわかるか」
長谷川は静かに聞いた。首謀者などだいたい見当はついているのだが。
「しらねーよ」
あっけらかんと藤真は言った。
もちろん長谷川も花形と同じ気持ちだ。だが同時に、嫌がらせをせずにいられない人間の気持ちも、全くわからないわけではなかった。そして、自分が怒ったら藤真の立場をより微妙にしてしまうのではないかとも思う。それほどまでに、今の藤真の存在は、バスケ部にとって異常なものであった。
スタメンを夢見て頑張っているのはみな同じである。ユニフォームを着れるかどうかの瀬戸際で、学年が上がればレギュラーになれるかもしれないという淡い期待を抱いてきた上級生にとっては、入部早々にその座を手中にしてしまった彼の存在はもはや緊急事態とも言えた。
 
「手が冷てえ」
長谷川の前に両手が差し出される。ジャージを洗っていたのだろう、藤真の手のひらが赤くなっている。
「・・・」
どうしようかと思ったが、手が引っ込められる気配もないので、長谷川は躊躇しながらもその両手を自分の手の中に包み込んだ。
「・・・冷たいな」
冷え性なんだよ。部費で給湯器つけらんねえかな」
「まあ、無理だろうな」
バスケでは強豪とはいえ、翔陽は公立高校である。
一年生の二人は詳しい事情は知らずにいたが、実は数年前からバスケ部は指導者不足という慢性的な問題を抱えていた。しかし金銭的なことから外部コーチを招くのも難しい状況にあった。
 
「温ったまったか」
手を包んだまま長谷川は言った。藤真は首を横に振る。
「はーってしてくれよ一志」
「・・・」
長谷川は今度こそ戸惑う。部室にはもうほかに誰もいない。そして藤真の手の温度は確かにまだ自分のそれより低い。困惑はいったん置いておいて、長谷川は、藤真の手をあたためてやるほうを選択した。包んだ手に、はーっと自分の息を吹きかける。それから、ゴシゴシ、と手をこすり合わせてやった。
「そろそろ温ったまったろ」
「まだ」
「・・・」
はーっ。ゴシゴシゴシ。
 
この藤真への嫌がらせはその後、インターハイ神奈川県予選で翔陽が準優勝を果たした頃から徐々に減っていき、本選で彼が一年生ながらチーム一の総得点を記録したときを境に、ぴたりとなくなった。
しかしその頃、バスケ部にはまた新たな、大きな問題が勃発することになるーーーそれはジャージを汚されるよりずっと深刻で、重い問題なのだが、今の二人はまだ知る由もない。
 
「もうそろそろいいだろ」
「全然」
「・・・」
はーっ。ゴシゴシゴシ。
部室ではまだ同じやり取りが続いている。
 
 
 
<終>